晩翠忌 (記念日 10月19日)
- 生没年
- 1871年〜1952年(享年80歳)
- 本名
- 土井林吉(どい りんきち)
- 代表作
- 「荒城の月」「星落秋風五丈原」
- 文化勲章受章
- 1950年(詩人として初)
- 墓所
- 宮城県仙台市若林区・大林寺
「荒城の月」の詞を書いた人物が、詩人としてはじめて文化勲章を受けた——そのことを知る人は、意外に少ないかもしれません。土井晩翠(1871〜1952年)は、明治から昭和にかけて活躍した詩人・英文学者です。10月19日はその忌日にあたり、「晩翠忌」と呼ばれています。1871年(明治4年)、仙台藩の質屋の長男として生まれた晩翠の本名は林吉(りんきち)。父は和歌・俳諧を嗜む文学的素養の持ち主で、その影響から幼少期に『水滸伝』『三国志』『太閤記』などを読みふけりました。後に姓の読みを「つちい」から「どい」に改め、雅号「晩翠」を名乗ります。
1897年(明治30年)、東京帝国大学英文科を卒業。小泉八雲らに師事し、在学中から雑誌『帝国文学』の編集委員として頭角を現しました。翌々年の1899年(明治32年)には第一詩集『天地有情』を刊行し、男性的な漢詩調の詩風で新体詩人としての地位を確立します。同時期、女性的・叙情的な詩風で知られる島崎藤村と並び称されるようになりました。
広く知られる「荒城の月」の作詞は1898年(明治31年)のこと。東京音楽学校編『中学唱歌』のために書き下ろしたこの詞に、滝廉太郎が曲をつけ、日本の近代唱歌を代表する名曲が誕生しました。また同年には叙事詩『星落秋風五丈原』も発表しており、この年は晩翠の創作における大きな節目でもありました。
1900年(明治33年)に仙台へ戻り、母校の第二高等学校(現・東北大学の前身)教授に就任。以後も詩作を続けながら、ヨーロッパへの遊学を経て第三詩集『東海遊子吟』を刊行しています。晩年にはホメロスの『イーリアス』(1940年)と『オデュッセーア』(1943年)を翻訳するなど、英文学者としての仕事も大きな業績を残しました。
1950年(昭和25年)、詩人として初めて文化勲章を受章。文化功労者・仙台市名誉市民にも選ばれています。1952年(昭和27年)10月19日、急性肺炎のため80歳で死去。仙台市葬が営まれ、墓は同市若林区の大林寺に置かれています。「荒城の月」の作詞者として記憶されることの多い晩翠ですが、校歌・寮歌の作詞、ギリシャ叙事詩の翻訳、漢詩調の新体詩確立と、その足跡は多岐にわたります。
10月19日の他の記念日
10月19日のカレンダー情報
10月の二十四節気・雑節
- 寒露(かんろ) 10月8日(木)
- 霜降(そうこう) 10月23日(金)
- 秋の土用(どよう) 10月20日(火)