島原の乱の日 (記念日 10月25日)
- 発生年
- 1637年(寛永14年)10月25日
- 総大将
- 天草四郎(益田時貞)・享年16歳
- 一揆勢の規模
- 約3万7千人
- 幕府動員兵力
- 約12万人
- 籠城地
- 原城(現・長崎県南島原市)
- 鎮圧後の影響
- 約1年半後にポルトガル人追放・鎖国体制の完成
わずか16歳の少年が、12万の幕府軍を半年以上にわたって苦しめた。1637年(寛永14年)10月25日、肥前島原半島に端を発した「島原の乱」は、日本史上最大規模の一揆であり、幕末以前では最後の本格的な内戦である。天草四郎(益田時貞)を総大将に据えたキリシタン農民らの蜂起は、単なる宗教的反乱にとどまらず、江戸幕府の統治基盤を揺るがす一大事件となった。
乱の直接の発端は、島原藩主・松倉勝家と天草の寺沢堅高による苛酷な年貢取り立てと、キリシタンへの苛烈な弾圧だった。1637年10月、島原の農民が蜂起し、島原から海を渡った天草でも呼応する動きが起きた。両勢力はやがて合流した。
一揆勢は廃城となっていた原城(長崎県南島原市)に籠城し、幕府は九州諸藩から総勢約12万の大軍を派遣した。しかし、城壁を巧みに利用した防御と信仰に支えられた士気の高さによって、籠城勢は容易に崩れなかった。オランダ船の艦砲射撃を援用するなど、幕府側が異例の手段をとるほど、攻略は難航した。包囲開始から約4か月後の1638年2月、幕府は総攻撃を決行。約3万7千人の籠城勢はほぼ全滅し、乱は終結した。
包囲が続く中、幕府はキリスト教そのものを体制への脅威と確信し、翌年にはポルトガル人の来航を全面禁止した。島原の乱は、近世日本の対外政策を決定づけた事件でもあった。この日(10月25日)は「島原の乱の日」として記念され、今日でも原城跡は世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として、歴史を静かに伝えている。
10月25日のカレンダー情報
六曜 大安
吉日 神吉日、大明日
月齢 14.5
10月の二十四節気・雑節
- 寒露(かんろ) 10月8日(木)
- 霜降(そうこう) 10月23日(金)
- 秋の土用(どよう) 10月20日(火)