年尾忌 (記念日 10月26日)
- 生没年
- 1900年12月16日〜1979年10月26日
- 享年
- 78歳
- 出身地
- 東京市神田区猿楽町(現・千代田区)
- 父
- 俳人・高浜虚子
- 雅号の命名者
- 俳人・正岡子規
- ホトトギス継承
- 1959年(昭和34年)
「年尾」という雅号を、かの正岡子規が名付けたことはあまり知られていません。高浜年尾(たかはま としお)は、俳句界の巨人・高浜虚子の長男として1900年(明治33年)12月16日に東京で生まれました。その誕生を祝した子規が命名した「年尾」という名には、年の尾、すなわち歳末の澄んだ空気を思わせる趣があります。年尾忌は、彼が1979年(昭和54年)10月26日に78歳で亡くなったことを偲ぶ忌日で、秋の季語として俳句歳時記に収められています。
年尾は中学時代から父・虚子の手ほどきを受けて句作を始めましたが、その道のりは一直線ではありませんでした。東京の開成中学校を経て、1924年(大正13年)に小樽高等商業学校(現:小樽商科大学)を卒業した年尾は、旭シルクに就職します。勤務の傍らで兵庫県芦屋市へ転居し、句作を一時中断する時期もありました。しかし1938年(昭和13年)、俳句雑誌『俳諧』を発行して連句活動を再開し、翌1939年に会社を退社。以後は俳句一本に生涯を捧げる決意を固めます。
関西の俳壇を中心に精力的に活動した年尾は、1951年(昭和26年)に『ホトトギス』の雑詠選者となり、1959年(昭和34年)には父・虚子から主宰の座を受け継ぎました。「花鳥諷詠」と「客観写生」を旗印に、明治から続く伝統俳句の流れを守り続けた年尾の姿勢は、父の精神を真摯に継承するものでした。芦屋を拠点に、関西俳壇の柱として多くの俳人を育て、日本の伝統的な俳句文化の継承に大きく貢献した年尾の句には、日常の風景を静かに見つめる眼差しが光ります。「この頃の暮らしが映り金魚玉」のように、身近な生活の中に美を見出す作風は、父・虚子が提唱した客観写生の精神を受け継ぎながらも、年尾独自の穏やかな詩境を形成しています。句集『年尾句集』に長年の俳句修業の成果を残し、1979年10月26日に78歳で逝去した後は、孫にあたる稲畑汀子がホトトギス主宰を引き継ぎ、三代にわたる高浜家の俳句の系譜は今日まで続いています。
10月26日の他の記念日
10月26日のカレンダー情報
10月の二十四節気・雑節
- 寒露(かんろ) 10月8日(木)
- 霜降(そうこう) 10月23日(金)
- 秋の土用(どよう) 10月20日(火)