世界新記録の日 (記念日 10月27日)

世界新記録の日
記録達成日
1931年10月27日
南部忠平の記録
走り幅跳び 7m98(世界新記録)
織田幹雄の記録
三段跳び 15m58(世界新記録)
大会名
第6回明治神宮体育大会
南部のロス五輪成績
1932年 三段跳び金メダル(15m72・世界新記録)
主催団体
大日本体育協会(現・日本スポーツ協会)

1931年(昭和6年)10月27日、東京・明治神宮外苑競技場に歴史的な瞬間が訪れました。第6回明治神宮体育大会の陸上競技で、織田幹雄が三段跳び15m58の世界新記録を樹立すると、その直後、南部忠平が走り幅跳びで7m98の世界新記録を打ち立てました。跳躍を終えた南部は放心状態にあり、盟友・織田が右手をしっかりと握りしめたとき、初めて自らの偉業を実感したといいます。一度の大会で二つの世界新記録が誕生した、日本スポーツ史に輝く一日でした。

南部忠平は1904年(明治37年)生まれ。早稲田大学に学び、走り幅跳びと三段跳びの両種目で日本を代表するアスリートへと成長しました。1928年のアムステルダム五輪で三段跳び4位入賞を果たすと、その後ミズノに就職して大阪へ移り、織田幹雄とともに猛練習を重ねました。明治神宮体育大会での世界記録樹立は、まさにその努力が実を結んだ瞬間でした。翌1932年のロサンゼルス五輪では、三段跳びで15m72の世界新記録をもって金メダルを獲得しています。

一方、織田幹雄は1928年のアムステルダム五輪で日本人初の陸上金メダリストとなった選手です。三段跳び15m21で頂点に立ち、「東洋の魔人」と称されました。1931年の明治神宮体育大会での15m58もまた、彼の円熟した跳躍技術の証明でした。南部と織田、二人の偉大なアスリートが同じ舞台で同時に世界の頂点に立ったこの日は、近代日本スポーツの夜明けを告げる象徴的な出来事として語り継がれています。

この大会の舞台となった明治神宮体育大会は、1924年(大正13年)から1943年(昭和18年)まで14回にわたって開催された総合競技大会です。「明治天皇の聖徳を憬仰し、国民の心身の鍛練に資す」ことを目的とし、大日本体育協会(現・日本スポーツ協会)が主催しました。この大会の精神と経験は、戦後に始まる「国民体育大会」(国体)の創設に大きな影響を与えており、今日のスポーツ振興の礎ともいえる歴史的な大会でした。「世界新記録の日」は、この1931年10月27日の偉業を記念して制定されたものです。南部と織田が刻んだ記録は単なる数字ではなく、当時の日本国民に世界と戦える力があることを示した証明でもありました。スポーツが人々に夢と誇りを与えた瞬間として、その意義は今も色あせていません。

10月27日のカレンダー情報

六曜 先勝
吉日 不成就日
月齢 16.5

10月の二十四節気・雑節

  • 寒露(かんろ) 10月8日(木)
  • 霜降(そうこう) 10月23日(金)
  • 秋の土用(どよう) 10月20日(火)