ロシア革命記念日 (記念日 11月7日)
- 発生日
- 1917年11月7日(露暦10月25日)
- 発生地
- ペトログラード(現サンクトペテルブルク)
- 指導者
- ウラジーミル・レーニン(1870〜1924年)
- 打倒された政権
- ケレンスキー臨時政府
- 革命の合図
- 巡洋艦アヴローラの空砲
- その後
- 1922年、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が正式成立
1917年11月7日(ロシア旧暦10月25日)の深夜、ペトログラードの冬宮殿は静かに制圧された。コサック兵や士官候補生が守る宮殿に赤衛軍が進入し、臨時政府の閣僚たちを逮捕するまでに要した時間は約4時間。後にソ連が「革命の最高潮」として喧伝した劇的な戦闘は、実際にはほぼ無血のうちに終わっていた。この革命は、同じ1917年に起きた二月革命(新暦三月)の延長線上にあります。二月革命でロマノフ王朝が倒れた後、ケレンスキー率いる臨時政府が成立しましたが、第一次世界大戦への継続参戦を掲げたことで民衆の不満を買いました。戦争に疲弊したロシアでは、「平和・土地・パン」を訴える声が日に日に高まっていきました。
亡命先のスイスから封印列車でロシアへ帰国したレーニンは、「すべての権力をソヴィエトへ」を掲げる四月テーゼを発表し、ボリシェヴィキを臨時政府打倒へと導く戦略を打ち出しました。1870年生まれのレーニンはこのとき47歳。弁舌と組織力を武器に、兵士・労働者・農民の支持を着実に集めていきました。
旧暦10月24日(新暦11月6日)、臨時政府がボリシェヴィキ系新聞の発行を禁止したことが引き金となり、蜂起が始まりました。翌25日午後9時45分、ネヴァ川に停泊していた防護巡洋艦アヴローラが空砲を発射。これを合図として赤衛軍が冬宮殿へ突入し、26日未明に制圧が完了しました。ほぼ同じ頃、全ロシア・ソヴィエト大会が開かれ、レーニンを議長とする人民委員会議が新政府として発足しました。
その後「冬宮突入」は革命の象徴として語り継がれ、1920年の記念劇や1928年のエイゼンシュテイン映画『十月』では激しい戦闘として描かれました。しかし現場を目撃したイギリス武官アルフレッド・ノックスは「守備は体をなしておらず、ほぼ無抵抗だった」と書き残しています。歴史の実像とプロパガンダの間には、しばしば大きな溝があります。
この革命を経て、ロシアは1918年にドイツと単独講和(ブレスト=リトフスク条約)を結び第一次世界大戦から離脱しました。その後の内戦と混乱を経て、1922年にはソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が正式に成立します。20世紀の国際政治を規定した東西冷戦の起点は、1917年のあの深夜に求めることができます。
参考リンク
11月7日の他の記念日
11月7日のカレンダー情報
11月の二十四節気・雑節
- 立冬(りっとう) 11月7日(土)
- 小雪(しょうせつ) 11月22日(日)