ベルリンの壁崩壊の日 (記念日 11月9日)
- 壁崩壊日
- 1989年11月9日
- 壁建設開始
- 1961年8月13日
- 壁の全長
- 約155キロメートル
- 東西ドイツ統一
- 1990年10月3日
- 同日の歴史的事件
- 水晶の夜(1938年)、ドイツ革命(1918年)
1989年11月9日夜、東ベルリン市民が検問所に殺到し、国境警備兵は上からの命令もないまま通過を認めた。こうして28年間、東西ベルリンを分断し続けた壁は、一夜にして開かれました。
直接の引き金は、東ドイツ社会主義統一党の政治局員ギュンター・シャボフスキーが記者会見の場で犯した誤りでした。彼は旅行規制緩和の政令を読み上げた後、外国人記者から「いつから有効か」と問われ、手元の文書を確認しないまま「即刻です」と答えました。この発言はテレビで生中継され、市民が検問所へ向かう口実になりました。東ドイツ政府の本来の意図は段階的な規制緩和でしたが、その夜のうちに事態は取り返しのつかない方向へ動きました。
壁が建設されたのは1961年8月13日のことです。東ドイツから西側へ逃れる市民が増加したことに危機感を持った東ドイツ政府とソ連が、一夜のうちに鉄条網を張り巡らせ、その後コンクリートの壁へと造り替えました。完成した壁は全長約155キロメートルに及び、東西ベルリンの境界線上だけでなく、西ベルリンを取り囲む形で設けられました。壁の撤去作業は翌11月10日に始まり、東西ドイツの正式な統一は翌1990年10月3日に実現しました。
11月9日はドイツ史の節目が重なる日でもあります。1918年のこの日、第一次世界大戦の敗色が濃くなるなかでドイツ革命が起き、皇帝ヴィルヘルム2世は退位してオランダへ亡命し、帝政ドイツが終わりを迎えました。1938年のこの日には、ナチス・ドイツが組織したユダヤ人迫害「水晶の夜(クリスタルナハト)」が起き、各地のユダヤ人商店や礼拝堂が破壊されました。歴史家はこの日を、ドイツにとって光と影が交差する「運命の日(Schicksalstag)」と呼びます。
壁崩壊はその後の歴史連鎖の起点となりました。東欧各国でも次々と共産党政権が倒れ、1991年にはソビエト連邦が解体。約半世紀続いた米ソ冷戦が終結しました。
11月9日の他の記念日
11月9日のカレンダー情報
11月の二十四節気・雑節
- 立冬(りっとう) 11月7日(土)
- 小雪(しょうせつ) 11月22日(日)