国際学生の日 (記念日 11月17日)

国際学生の日
記念日の日付
11月17日
英語表記
International Students' Day
制定年
1942年(昭和17年)
制定場所
アメリカ・ワシントン
事件発生地
チェコスロバキア・プラハ
犠牲者数
処刑11人、収容所送り1,200人以上

1939年11月17日の未明、ナチス・ドイツの親衛隊員たちがプラハの学生寮と大学を一斉に急襲しました。眠っていた学生たちは無抵抗のまま拘束され、9人が即決処刑されました。指導的立場にあった教官2人も命を奪われ、1,200人以上の学生がザクセンハウゼン強制収容所へ送られました。同日、ナチス当局はチェコ国内のすべての高等教育機関の閉鎖を命じました。

事件の発端は、1939年10月28日のチェコスロバキア建国記念日のデモです。このデモに参加した医学生ヤン・オプレタルがドイツ軍の銃撃を受け、11月11日に死亡しました。11月15日の葬儀には多くの学生が集まり、その場は自然と反占領のデモへと変わりました。ナチス当局はこれを組織的な抵抗運動とみなし、2日後に大規模な弾圧を実行しました。

当時のチェコスロバキアは、1939年3月にナチス・ドイツによって解体され、「ベーメン・メーレン保護領」として占領状態に置かれていました。独立国家としての機能は失われ、議会も政府も実権を持たず、言論・集会・出版の自由は厳しく制限されていました。大学はチェコ人が知識を育み、民族の自意識を保つための数少ない場のひとつでした。学生たちのデモはそうした閉塞した状況への抵抗であり、ナチス側がとりわけ激しく弾圧した背景にはこの事情があります。大学の閉鎖は終戦まで続き、多くの学生が学業を断たれました。

1942年11月17日、ワシントンに集まった世界各国の学生代表が犠牲者を追悼し、この日を「国際学生の日」と宣言しました。英語表記は「International Students’ Day」です。

チェコスロバキアでは戦後も11月17日が重要な意味を持ち続けました。1989年、共産党政権に対して学生デモが起きたのもこの日でした。そのデモはやがて「ビロード革命」へと発展し、共産主義体制の崩壊につながりました。現在、チェコとスロバキアでは「自由と民主主義の日」として国民の祝日に定められています。

11月17日のカレンダー情報

六曜 赤口
吉日 大明日
月齢 7.8(上弦の月)

11月の二十四節気・雑節

  • 立冬(りっとう) 11月7日(土)
  • 小雪(しょうせつ) 11月22日(日)