ドラフト記念日 (記念日 11月17日)
- 第1回開催日
- 1965年(昭和40年)11月17日
- 開催場所
- 東京・日比谷 日生会館
- ドラフト発祥
- 1936年 NFL(アメリカンフットボール)
- 第1回入団率
- 約38%(50名が入団)
- 制度導入の提案者
- 西鉄ライオンズ社長 西亦次郎
1965年(昭和40年)11月17日、東京・日比谷の日生会館で「第1回新人選手選択会議」が開かれました。これが日本プロ野球ドラフト会議の始まりです。当日は各球団が30名以内の希望選手名簿を事前に提出し、1位が重複した場合は抽選で決定するという、現在とはかなり異なる方式が採用されました。
制度導入の背景には、当時の深刻な「契約金競争」がありました。自由競争で選手を争奪していた時代、球団間の戦力格差は広がる一方で、有力選手をめぐる契約金も際限なく膨らんでいました。1964年のパ・リーグオーナー懇談会で、西鉄ライオンズ社長・西亦次郎がNFLを参考にしたドラフト制度の導入を提案し、翌年の実施に漕ぎ着けたのです。
しかしこの第1回会議、蓋を開けてみれば指名選手の入団率はわずか約38パーセントにとどまりました。制度への反発から指名を拒否し、社会人野球や進学を選んだ選手も少なくなかったのです。新制度がいかに選手や関係者に戸惑いを与えたかが、この数字に表れています。第1回で指名を受けた選手の中には、のちに巨人のエースとして活躍する堀内恒夫(読売ジャイアンツ1位)の姿もありました。
ドラフト会議という仕組みは、1936年のNFLが世界初の採用とされています。競技や国の枠を超えて広まり、日本でも同じ1965年にスタートを切りました。
その後、日本のドラフト制度は幾度もの変遷をたどりました。1989年には選手側に一定の球団選択権を与える「逆指名制度」が導入され、FA制度との兼ね合いから長く議論の的となりました。2005年には完全ウェーバー制への移行が行われ、現在の「入札抽選方式(競合時くじ引き)」に近い形へと整備されてきました。60年以上の歴史の中で、制度はその都度、公平性と選手の権利のバランスを模索し続けてきました。
参考リンク
11月17日のカレンダー情報
11月の二十四節気・雑節
- 立冬(りっとう) 11月7日(土)
- 小雪(しょうせつ) 11月22日(日)