原子炉の日 (記念日 12月2日)
- 実験成功日
- 1942年(昭和17年)12月2日
- 実験場所
- シカゴ大学スタッグ・フィールド競技場地下
- 原子炉名
- シカゴ・パイル1号(CP-1)
- 指導者
- エンリコ・フェルミ(イタリア出身の物理学者)
- 炉の重量
- 約400トン
- 関連計画
- マンハッタン計画(米国・原爆開発)
1942年12月2日午後3時25分、シカゴ大学地下の実験炉が静かに臨界に達し、人類史上初めての自律的な核分裂連鎖反応が成功しました。計測器の針が上昇し続けたその瞬間、世界は原子力の時代へと足を踏み入れました。
この歴史的実験を指揮したのが、イタリア出身の物理学者エンリコ・フェルミです。フェルミは1938年にノーベル物理学賞を受賞した後、ファシスト政権下のイタリアを離れアメリカへ亡命しました。熱中性子による核反応の研究で世界的な名声を持つ彼は、アメリカ政府の秘密核開発計画「マンハッタン計画」における中枢的な科学者として迎えられました。
シカゴ・パイル1号(CP-1)は、天然ウランと黒鉛ブロックを積み重ねた構造で、制御棒にはカドミウムが使われました。炉の体積は約750立方フィート、重量は約400トンに達します。フェルミはチェーンリアクションを安全に制御するため、自動・手動両方の制御棒システムを設計し、その慎重な設計が実験成功の鍵となりました。実験には約50名の科学者・技術者が立ち会い、静寂のなかで計測値を見守りました。成功を確認した後、「イタリアの航海士が新大陸に到達した」という暗号電文が政府高官へ送られました。黒鉛と金属の積み重なった炉の内部で、わずか28分間の臨界状態が記録されています。この短い時間が、のちの原子力技術すべての出発点となりました。
この実験の意義は、単なる科学的達成にとどまりません。持続的な核分裂連鎖反応の制御技術は、やがて原子力発電所の根幹をなす技術へと発展しました。現代の原子炉は、ウランやプルトニウムを燃料として核反応を起こし、発生した熱でタービンを回して発電する仕組みです。航空母艦や潜水艦などの軍艦にも搭載され、長距離・長時間の航行を可能にしています。また、医療用の放射性同位体の製造や、物質の中性子照射による研究など、原子炉の用途は発電にとどまらず広範囲に及びます。
一方でフェルミ自身は、マンハッタン計画において原爆開発にも深く関わりました。1945年に広島・長崎へ投下された原子爆弾は、シカゴでの実験が端緒となった技術の延長線上にあります。フェルミは1954年に53歳でこの世を去り、元素のフェルミウム(Fm、原子番号100)は彼の名を冠して命名されています。
12月2日の他の記念日
12月2日のカレンダー情報
12月の二十四節気・雑節
- 大雪(たいせつ) 12月7日(月)
- 冬至(とうじ) 12月22日(火)