シンフォニー記念日 (記念日 12月6日)

シンフォニー記念日
制定の由来
1914年に山田耕筰が日本初の交響曲を発表した日
作品名
交響曲『かちどきと平和』
山田耕筰の生没年
1886年〜1965年
代表曲
「赤とんぼ」「からたちの花」など
関連記念日
12月29日「山田耕筰忌」(命日)

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した日本人がいました。山田耕筰(やまだ こうさく)という名の作曲家であり、当時の欧米音楽界でもその名を知られた存在でした。彼が帰国後に発表したのが、1914年(大正3年)のこの日に披露された交響曲『かちどきと平和』です。日本人の手による初の交響曲として、日本の音楽史にその名を刻む作品となりました。

シンフォニー(symphony)という言葉は、ギリシャ語に由来し、「調和」や「音の響き合い」を意味します。交響曲とは、弦楽器・管楽器・打楽器からなる管弦楽によって演奏される大規模な楽曲であり、通常は複数の楽章で構成されます。ハイドンやベートーヴェンが形式を確立した西洋音楽の中核的なジャンルですが、日本ではその歴史がわずか110年余りにすぎません。

山田耕筰は1886年(明治19年)、東京に生まれました。東京音楽学校を卒業後、ドイツのベルリン王立音楽高等学校に留学し、本格的な西洋音楽の作曲技法を身に付けました。帰国後は日本初の管弦楽団の創設に尽力するなど、西洋音楽を日本に根付かせる活動を精力的に続けました。一方で、日本語の自然なアクセントや抑揚を旋律に取り込む独自のアプローチを貫き、日本語歌曲の分野でも多くの作品を世に送り出しました。「赤とんぼ」や「からたちの花」は、今日も歌い継がれる代表作として広く知られています。国際的な活動も目覚ましく、アメリカ・ニューヨークのカーネギー・ホールでは自作の管弦楽曲を自ら指揮して披露しました。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やレニングラード・フィルハーモニー交響楽団を指揮した日本人は当時ほかに例がなく、山田耕筰こそが欧米の音楽界で認知された最初の日本人音楽家でした。その活動範囲は国内に留まらず、東西の文化をつなぐ橋渡し役を担っていました。

山田耕筰は1965年(昭和40年)12月29日に79歳で亡くなり、その命日は「山田耕筰忌」と呼ばれています。彼が日本の音楽界に与えた影響は作曲や指揮にとどまらず、音楽教育や普及活動にも及びます。1914年のこの日に発表された交響曲は、単なる一作品ではなく、日本が西洋音楽に本格的に向き合い始めた時代の証左でもあります。

12月6日のカレンダー情報

六曜 先勝
吉日 月徳日、寅の日、不成就日
月齢 26.8

12月の二十四節気・雑節

  • 大雪(たいせつ) 12月7日(月)
  • 冬至(とうじ) 12月22日(火)