沢庵忌 (記念日 12月11日)
- 生没年
- 1573〜1646年(享年73歳)
- 出身地
- 但馬国出石(現:兵庫県豊岡市)
- 宗派
- 臨済宗
- 流罪先
- 出羽国(現:山形県)
- 創建寺院
- 東海寺(東京都品川区北品川)
- 主な著書
- 『不動智神妙録』『沢庵和尚法語』
食卓でおなじみの「沢庵漬け(たくあんづけ)」の名前は、一人の禅僧に由来すると伝えられています。その僧・沢庵宗彭(たくあん そうほう)が没した旧暦の忌日、正保2年12月11日(新暦1646年1月27日)が「沢庵忌」です。
沢庵宗彭は1573年12月24日、但馬国出石(現:兵庫県豊岡市)に生まれました。10歳で出家し、臨済宗の僧・春屋宗園らに師事。1609年には京都の大徳寺住持となり、禅僧として頭角を現します。しかし1629年、江戸幕府が僧侶の位階を制限しようとした「紫衣事件(しえじけん)」で幕府を批判したため、出羽国(現:山形県)へ流罪となりました。
赦免後、沢庵は江戸・品川に万松山・東海寺(とうかいじ)を開きます。この寺にまつわる逸話が、沢庵漬けの名前の由来として広く知られています。徳川3代将軍・徳川家光が東海寺を訪れた際、名もない漬物を供したところ大変気に入り、「沢庵漬けと呼ぶべし」と命じたというものです。ただし異説も複数あり、沢庵和尚の墓の形が漬物石に似ていたという説、「貯え漬け(たくわえづけ)」が転じたという説、関西の漬物を沢庵が江戸へ広めたという説などがあります。
東海寺では、禅師の名を呼び捨てにすることは非礼であるとして、「沢庵」ではなく「百本(ひゃっぽん)」と呼びます。干した大根100本を漬けた「百本漬け」を意味する呼び名で、寺院としての矜持が感じられます。
沢庵宗彭は漬物の逸話だけで語られる人物ではありません。書画・詩文に長け、茶の湯にも親しんだ文化人でもありました。著書『不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)』は、剣豪・柳生宗矩(やぎゅう むねのり)に向けて書かれた禅の書として知られ、剣と禅の関係を論じた内容は後世にも影響を与えています。73歳で没するまで多くの墨跡を残しました。
参考リンク
12月11日の他の記念日
12月11日のカレンダー情報
12月の二十四節気・雑節
- 大雪(たいせつ) 12月7日(月)
- 冬至(とうじ) 12月22日(火)