ザメンホフの日 (記念日 12月15日)
- 生没年
- 1859年〜1917年(享年57歳)
- 出身地
- ビャウィストク(当時ロシア領ポーランド)
- 職業
- 眼科医・言語学者
- 発表年
- 1887年(27歳のとき初版刊行)
- 現在の話者数
- 世界で約100万〜200万人(推定)
- 祝祭名
- ザメンホフ祭(Zamenhofa Festo)
1887年、一冊の小冊子がワルシャワで静かに出版されました。著者名は「ドクトル・エスペラント」、つまり「希望する人」を意味する筆名でした。28歳の眼科医ルドヴィコ・ザメンホフが世に送り出したその冊子こそ、後に「エスペラント」と呼ばれる国際語の出発点です。毎年12月15日はザメンホフの誕生日にちなみ、世界各地でその功績をたたえる「ザメンホフ祭」(Zamenhofa Festo)が開かれます。
ザメンホフが生まれた1859年当時のビャウィストク(現ポーランド領)は、帝政ロシアの支配下にあり、ポーランド人・ユダヤ人・ドイツ人・ロシア人が入り混じって暮らす多言語都市でした。言語の壁がそのまま人々の断絶につながる光景を幼少期から目の当たりにしたザメンホフは、「共通の言語があれば、互いに理解し合えるはずだ」という着想を早くから抱いていました。眼科医として開業しながらも構想を練り続け、1887年についに国際語の初版を発表します。エスペラントの文法は規則性を徹底して追求したものです。不規則変化がなく、発音もつづり通りに読めるため、習得の負担が既存の自然言語と比べて大幅に少ないとされています。語彙はラテン語・ロマンス語・ゲルマン語・スラヴ語などから広く採り入れており、ヨーロッパ系言語の話者にとっては単語の見当がつきやすい構造になっています。
現在、エスペラントの話者数は世界全体で約100万〜200万人と推定されています。母語として育った話者も数百人から2,000人程度いるとされており、計画言語でありながら「母語話者が存在する言語」という稀な段階に達しています。国連やEUの公用語にはなっていないものの、ポラン語・スロベニア語など一部の国の教育機関で選択科目として教えられており、世界エスペラント協会(UEA)は現在も活動を続けています。
ザメンホフ自身は1917年に58歳で亡くなりましたが、エスペラントはその後も使用者を増やし続けました。彼の誕生日である12月15日は「本の日」(Librotago)とも呼ばれ、エスペラント関連書籍を購入して普及に貢献しようという慣習があります。日本では一般財団法人・日本エスペラント協会が各種大会や学力検定試験を運営しており、6月12日の「エスペラントの日」とともにこの言語の定着を支えています。
参考リンク
12月15日の他の記念日
12月15日のカレンダー情報
12月の二十四節気・雑節
- 大雪(たいせつ) 12月7日(月)
- 冬至(とうじ) 12月22日(火)