劉生忌 (記念日 12月20日)

劉生忌
生年月日
1891年(明治24年)6月23日
没年月日
1929年(昭和4年)12月20日(享年38歳)
出身地
東京・銀座
師事
黒田清輝(白馬会洋画研究所)
代表作
「道路と土手と塀(切通しの写生)」「麗子像」シリーズ
墓所
多磨霊園(東京都府中市・小金井市)

東京・銀座の薬屋の四男として生まれた岸田劉生は、38年という短い生涯のあいだに、西洋絵画の模倣から出発し、独自の写実美学を確立し、さらに東洋絵画へと大きな転換を遂げた洋画家です。12月20日はその忌日にあたります。

1891年(明治24年)に生まれた劉生は、父・岸田吟香が経営する薬屋「楽善堂」の家庭で育ちます。17歳で白馬会洋画研究所に入り、洋画家・黒田清輝に師事して外光派の手法を学びました。しかし1911年(明治44年)、文芸雑誌『白樺』の美術展を通じてイギリス人陶芸家バーナード・リーチと出会い、柳宗悦や武者小路実篤ら白樺派の文化人と交流するうちに、ポスト印象派やフォービスムの影響を受けて従来の師の流儀から離れていきます。

1912年(明治45年)には高村光太郎や木村荘八らとフュウザン会を結成し、北欧ルネサンス、とりわけドイツの画家アルブレヒト・デューラーの精緻な描写に傾倒して細密写実へと方向を定めます。1915年(大正4年)には木村荘八らと草土社を創立。同年の代表作『道路と土手と塀(切通しの写生)』に見られるように、日常の何気ない風景を息が詰まるほどの密度で描き取る独特の画境を打ち立てました。

この時期の劉生の仕事でとりわけ知られるのが、娘・麗子をモデルにした「麗子像」のシリーズです。ぽってりとした顔立ちと静謐な視線を持つ麗子の肖像は、単なる父親の愛情の記録ではなく、美の本質を問う実験の場でもありました。劉生自身、美とは愛であり、愛は肉体的なものから霊的なものへと高まるという独自の美論を展開しており、麗子像はその思想的な核心に位置します。

晩年には江戸初期の肉筆浮世絵や中国・宋元時代の絵画に強く惹かれ、油絵でありながら東洋的な滋味を漂わせる作品を残しました。西洋と東洋の技法を行き来するこの変遷は、単なる趣味の変化ではなく、「なぜ美しいのか」を問い続けた探求の軌跡といえます。1929年(昭和4年)12月20日、山口県徳山(現・周南市)で胃潰瘍と尿毒症による多量の吐血により38歳で世を去りました。遺体は多磨霊園に葬られ、終焉の地・周南市の文化会館前庭には記念碑が建立されています。

12月20日のカレンダー情報

六曜 仏滅
吉日 天恩日
月齢 11.1

12月の二十四節気・雑節

  • 大雪(たいせつ) 12月7日(月)
  • 冬至(とうじ) 12月22日(火)