「昭和」改元の日 (記念日 12月25日)
- 改元日
- 1926年(大正15年)12月25日
- 元号の出典
- 中国の歴史書『書経』「百姓昭明、協和万邦」
- 元号の意味
- 国民の平和と世界各国の共存繁栄
- 昭和の期間
- 1926年12月25日〜1989年1月7日(64年間)
- 誤報事件
- 東京日日新聞が「元号は光文」と誤報し、編集局主幹が辞任
1926年12月25日、大正天皇が崩御され、その日のうちに皇太子裕仁親王が新天皇として即位した。同時に新元号「昭和」が制定され、大正15年はそのまま昭和元年となった。一日にして時代の名が塗り替わるという、歴史的に見ても異例の改元です。
「昭和」という元号の出典は、中国最古の歴史書のひとつ『書経』にある「百姓昭明、協和万邦」という一節です。「百姓(ひゃくせい)昭明にして、万邦(ばんぽう)を協和す」——民が明らかに輝き、世界の国々が和やかに共存する、という意味で、国民の平和と世界各国の共存繁栄への願いが込められています。上下一字ずつを取って「昭和」とした。
元号選定の舞台裏もまた興味深いものがあります。宮内省が作成した候補案は「神化」「元化」「昭和」「神和」「同和」「継明」「順明」「明保」「寛安」「元安」の十案。枢密院議長・倉富勇三郎の日記によれば、数回の審議を経て「昭和」を筆頭候補とし、「元化」「同和」を参考案として最終的な案が決定したとされます。一方、内閣側でも「立成」「定業」「光文」「章明」「協中」という独自の候補を抱えており、二系統での検討が並行していた事実がうかがえます。
この改元をめぐっては、新聞業界に語り継がれる「大誤報」事件も起きました。東京日日新聞(現・毎日新聞)は政府の公式発表より前に「新元号は『光文』に決定」と報じてしまいました。ところが政府の発表は「昭和」であり、特ダネは一転して大誤報となります。責任をとった編集局主幹・城戸元亮の辞任という事態にまで発展しました。これを機に「もともと光文に決まっていたものを新聞に先に報じられたため、政府が急遽昭和に変更した」という説が広まりましたが、その真偽は今も明らかになっていません。
昭和は1989年(昭和64年)1月7日に昭和天皇が崩御されるまで続き、日本の元号史上最長の64年間を数えました。激動の戦争期から高度経済成長期まで、近代日本のほぼ半世紀以上を包み込んだこの元号の出発点が、1926年12月25日のこの日であったのです。戦前には12月25日を「大正天皇祭」として大祭日に定め、崩御を悼む日としていた歴史も、昭和という時代の重層的な背景を物語っています。
参考リンク
12月25日のカレンダー情報
12月の二十四節気・雑節
- 大雪(たいせつ) 12月7日(月)
- 冬至(とうじ) 12月22日(火)