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風三楼忌 (記念日 7月2日)

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昭和時代を彩った俳人、岸風三楼とその遺した足跡

風三楼忌とは

あなたは、昭和時代に活躍した俳人・岸風三楼のことをご存じですか?彼の忌日である「風三楼忌」は、彼の死去した1982年(昭和57年)7月2日にちなんでいます。

風三楼という名前は、俳句の世界では知らぬ人がいないほどの大御所でした。彼の本名は二三男といい、岡山県出身で関西大学法学部を卒業した後、大阪逓信省に入省しました。

俳句を始めたのは中学4年生の時で、その才能はすぐに開花。やがて「ホトトギス」への投句を経て、その俳句は多くの人々に愛されるようになりました。

風三楼の句は、どこか温かみがあり、庶民の生活に根差したものが多いですね。彼が信条とした「俳句は履歴書」という言葉には、人々の日常と密接に関わる俳句の姿勢が見て取れます。

岸風三楼の生涯

1910年(明治43年)にこの世に誕生した岸風三楼は、若い頃から俳句に情熱を注ぎました。彼は「若葉」や「京大俳句」に入会し、富安風生に師事するなど、俳句への深い愛を持っていました。

しかし、その道のりは決して平坦ではありませんでした。言論弾圧の象徴とも言える「京大俳句事件」に追及された経験もあります。それでも彼は俳句への情熱を失わず、1944年には「若葉」の編集長に就任しました。

1953年には自ら俳句雑誌「春嶺」を創刊・主宰し、1971年には「俳人協会」の設立代表として活躍。文部省との折衝や「俳句文学館」の建設に尽力するなど、俳句界の発展に貢献しました。

風三楼の代表作とその影響

風三楼の代表句には「手をあげて足をはこべば阿波踊」というものがあります。この句は、彼の庶民的な視点と独特のセンスが光る作品です。

句集には『往来』や『往来以後』があり、生前には多くの句を残しました。彼の作品は、後の俳句界にも大きな影響を与え、多くの俳人たちに刺激を与え続けています。

風三楼は、富安風生の「中道俳句」の道を受け継ぎながら、自らの信念を貫いた俳人でした。彼の句は今もなお、多くの人々に読み継がれ、愛されています。

俳句という文化の魅力とは

俳句の歴史とその進化

俳句は、江戸時代に確立された日本独自の詩形です。季節の変化や自然の美しさを短い言葉に込め、感動を伝える芸術として発展しました。

時代が変わるにつれて、俳句もまた進化を遂げてきました。明治、大正、昭和と、それぞれの時代の俳人たちが新たな詩風を生み出し、俳句の世界は常に新鮮な息吹で満たされています。

俳句は、その短い形式の中に深い意味を持つことから、多くの人々に親しまれています。言葉の選び方一つで、読者の心に異なる印象を与えることができるのです。

現代における俳句の役割

現代社会では、SNSなどのプラットフォームを通じて俳句が共有されることも多くなりました。短い文字数で感情や情景を表現する俳句は、今の時代にもマッチしていると言えるでしょう。

また、俳句は教育の場でも活用されています。子供たちに自然への感謝や四季の移ろいを教える手段として、また言葉の美しさを伝えるために、俳句は大切な役割を果たしています。

岸風三楼を偲ぶ、風三楼忌の過ごし方

風三楼忌にちなんだイベント

風三楼忌には、岸風三楼を偲び、彼の俳句に親しむイベントが開催されることがあります。俳句の朗読会や句会が行われ、彼の生涯や作品に光を当てる機会となっています。

これらのイベントに参加することで、風三楼の俳句の世界に触れることができるでしょう。また、自ら俳句を詠むことで、彼のような俳人の心境を少しでも感じ取ることができます。

風三楼の俳句を日常に取り入れる

風三楼忌を機に、風三楼の俳句を日常に取り入れてみてはいかがでしょうか。彼の句を読むことで、日々の生活に新たな発見や感動を見つけることができるかもしれません。

また、風三楼のように自ら俳句を詠んでみるのも一つの方法です。彼の句に触れながら、自分自身の感じた季節の移ろいや日常の出来事を詠むことで、俳句の楽しさを実感できるでしょう。

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