乃木大将の日 (記念日 9月13日)

乃木大将の日

1912年(大正元年)9月13日、陸軍大将・乃木希典(のぎ まれすけ)は、明治天皇の大喪(たいそう)の儀が執り行われたその夜、夫人の静子とともに自刃して果てました。享年62歳。その報は日本国内のみならず、国際社会にも衝撃をもって受け止められました。

乃木希典は1849年(嘉永2年)、江戸の長府藩上屋敷に生まれた長府藩士です。明治維新後は軍人の道を歩み、西南戦争や日清戦争を経て、日露戦争では第三軍司令官として旅順攻囲戦を指揮しました。難攻不落とされたロシア軍の要塞を155日間にわたって攻め続け、最終的に陥落させた戦功は世界的に注目されましたが、その過程で自らの二人の息子を含む多数の将兵を失いました。犠牲者の数は戦死者だけでおよそ1万5千人にのぼるとされており、乃木はその責任を生涯にわたって深く負い続けたといわれています。

日露戦争の凱旋後、乃木は明治天皇に拝謁し、殉死の許しを願い出たとも伝えられています。天皇はそれを許さず、「朕の後に死ね」と告げたとされており、乃木はその言葉に従い、明治天皇の崩御(1912年7月30日)を待ち続けたといわれています。大喪の儀当日の夜、乃木は妻・静子とともに殉死しました。「殉死」とは君主のあとを追って命を絶つ行為であり、すでに明治の世においては時代遅れともされていた風習でしたが、乃木の死は「武士道」の体現として内外で大きく報道されました。

乃木希典は軍人としての顔以外にも、第10代学習院長として教育者の役割を担い、後に昭和天皇となる迪宮裕仁(みちのみや ひろひと)親王の教育にも深く関わりました。その人柄は質素で厳格と伝えられており、華美を嫌い、生涯を通じて自己に厳しく律した人物として知られています。

乃木が殉死したこの日は「乃木忌」または「希典忌」とも呼ばれています。東京都港区赤坂にある乃木邸の隣地には、乃木夫妻を祀った乃木神社が建立されました。栃木県、京都府、山口県、北海道などにも乃木神社が存在し、全国にわたって崇敬を集めています。また、東京メトロ千代田線の乃木坂駅でも知られる「乃木坂」の地名は乃木希典に由来しており、乃木神社前にはその由来を記した石碑が建てられています。