藤ノ木古墳記念日 (記念日 9月25日)
未盗掘のまま1,400年の眠りから覚めた石棺の中には、金銅製の冠を身につけた二人の被葬者が横たわっていました。1985年(昭和60年)3月13日、奈良県生駒郡斑鳩町にある「藤ノ木古墳」の石室発掘調査が始まった日です。
藤ノ木古墳は直径約50m・高さ約9mの円墳で、古墳時代後期の6世紀後半に築かれたものとされています。法隆寺の西南西約350mという位置に存在し、古文書では「ミササキ」「陵山(みささぎやま)」とも呼ばれてきました。現在の「藤ノ木」という名称は、所在地の字名に由来しています。古墳の裾には円筒埴輪が整然と並べられており、被葬者の格式の高さをうかがわせます。
1985年の第1次調査で石室が確認され、1988年(昭和63年)6月には国内の発掘調査史上初めてファイバースコープによる石棺内部の調査が実施されました。そして同年10月8日、朱塗りの家型石棺の蓋が1,400年ぶりに開かれました。棺の中には二体の被葬者が確認され、副葬品の豊かさは調査関係者を驚かせました。
出土した副葬品は極めて豪華なものです。金銅製の冠は立飾りを含めた高さが約35cmにのぼり、金銅製の履(くつ)とともに発見されました。大刀5振と剣1振はいずれも金銅製の華麗な造りで、金銅製の鞍金具をはじめとする馬具類も石室奥部に副葬されていました。また、北側の被葬者の頭部の下には画文帯環状乳神獣鏡、南側には獣帯鏡が置かれており、二人の被葬者がそれぞれ丁重に葬られていたことがわかります。これらの出土品は2004年に国宝に指定され、現在は奈良県立橿原考古学研究所附属博物館で保管・展示されています。
被葬者が誰であるかは、いまだ特定されていません。法隆寺に近い立地や副葬品の格式から、蘇我氏と争った穴穂部皇子や物部守屋など、6世紀後半に活躍した皇族・豪族の名が候補に挙がってきました。しかし決定的な文字資料がなく、「謎の古墳」として研究者の関心を集め続けています。未盗掘という稀有な条件のもとで発見された埋葬当時の姿は、古墳時代後期の埋葬儀礼を解明するうえで、今もなお第一級の資料となっています。