山田耕筰忌 (記念日 12月29日)

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山田耕筰忌とは

山田耕筰忌(やまだこうさくき)は、日本の音楽史において重要な役割を果たした作曲家・指揮者の山田耕筰(やまだこうさく)の忌日を指します。山田耕筰は、大正から昭和にかけて、西洋音楽の普及に尽力し、日本初の管弦楽団の創設者としても知られています。

この忌日は、山田耕筰の功績を称え、彼が遺した音楽的遺産を記憶し続けるために、音楽関連の書籍などで言及されることがあります。山田耕筰は、交響曲『かちどきと平和』、歌曲『からたちの花』、『この道』、童謡『赤とんぼ』など、数多くの名曲を残しました。

山田耕筰の生涯

山田耕筰は1886年に東京で生まれ、1908年に東京音楽学校を卒業しました。その後、三菱財閥の岩崎小弥太の支援を受けてドイツに留学し、ベルリン王立芸術アカデミーで学びました。彼の師には、著名な作曲家マックス・ブルッフが含まれます。

ベルリンでの学びの中で、山田耕筰は1912年に日本人初の交響曲『かちどきと平和』を作曲しました。帰国後、彼は東京フィルハーモニー会にて管弦楽部を組織し、指揮者としても活躍しましたが、残念ながら翌年には解散してしまいます。

その後、山田耕筰はアメリカへ渡り、カーネギー・ホールでの演奏会を成功させました。1920年と1925年には、それぞれ日本楽劇協会と日本交響楽協会を設立し、指揮者としてのキャリアを築いていきます。

彼はドイツやフランスの近代音楽を日本に紹介し、交響楽とオペラの発展に大きく寄与しました。彼の功績はフランス政府からレジオンドヌール勲章を受章するなど、国際的にも認められています。

1965年に心筋梗塞で亡くなるまで、山田耕筰は日本の音楽文化の発展に貢献し続けました。彼の墓所は東京都あきる野市にあります。

山田耕筰の作品とその影響

山田耕筰の作品は、日本の音楽教育においても重要な位置を占めています。『からたちの花』や『この道』は、多くの日本人に親しまれている歌曲であり、童謡『赤とんぼ』は子供たちの心に残る名曲として知られています。

また、彼のオペラ作品『黒船』や『夜明け』は、日本のオペラ史における先駆的な作品として評価されています。これらの作品は、日本の音楽文化における西洋音楽の導入と発展の証しとなっています。

シンフォニー記念日との関連

山田耕筰忌に関連して、彼が初めて交響曲『かちどきと平和』を発表した日である12月6日は、「シンフォニー記念日」としても知られています。この日は、日本における交響楽の歴史を振り返り、山田耕筰のような作曲家たちの業績を称える機会となっています。