戊辰戦争開戦の日 (記念日 1月3日)
- 開戦日
- 1868年1月3日(慶応4年)
- 戦闘地
- 京都・鳥羽および伏見
- 兵力比較
- 新政府軍約5,000人 対 旧幕府軍約15,000人
- 死傷者数
- 新政府軍約110名、旧幕府軍約280名
- 慶喜退却日
- 1868年1月6日夜、大坂城から海路で江戸へ
- 戦争終結
- 1869年5月、函館・五稜郭の戦いをもって終結
1868年(慶応4年)1月3日、鳥羽・伏見の戦いが勃発しました。これが戊辰戦争の幕開けです。薩摩藩・長州藩を中核とする新政府軍は約5,000人。対する旧幕府軍はその3倍に当たる約15,000人でしたが、近代式装備を備えた新政府軍の前に3日間の戦闘で敗退しました。この戦争の名称「戊辰」は、慶応4年の干支である「戊辰」に由来します。王政復古の大号令によって明治新政府が発足したばかりのこの時期、京都の鳥羽街道と伏見街道で双方の兵が衝突し、近代日本を決定づける内戦の火ぶたが切られました。
戦局を決定的にしたのが「錦の御旗」です。1月5日、新政府軍の前線にこれが掲げられると、旧幕府軍は天皇に刃を向ける「朝敵」と見なされることになりました。兵の戦意は急速に失われ、旧幕府軍の瓦解が始まります。徳川慶喜は1月6日夜、大坂城を密かに抜け出し、海路で江戸へ退却しました。将軍自らが戦場を捨てたこの行動は、旧幕府方の士気に決定的な打撃を与えました。戦闘による死者は新政府軍約110名、旧幕府軍約280名と記録されています。
この緒戦での勝敗が以後の戦争全体の流れを左右しました。新政府軍は慶喜追討令を受けて東進し、江戸、東北、函館と戦線を北に広げながら、明治2年(1869年)5月の五稜郭の戦いをもって戊辰戦争は終結します。
戊辰戦争の終結は、国際的な意味でも大きな転換点でした。欧米列強はそれまで「条約による内戦への局外中立」を維持していましたが、国内の交戦勢力が消滅したことで中立を解除し、明治政府を日本の合法的な統治機関として正式に承認しました。近代国家としての日本が国際社会に受け入れられる出発点が、ここにありました。鳥羽・伏見の戦いの跡地は現在の京都市伏見区・南区周辺に当たり、激戦地となった御香宮神社(伏見区)は新政府軍の本営が置かれた場所で、今も参拝することができます。
1月3日のカレンダー情報
1月の二十四節気・雑節
- 小寒(しょうかん) 1月5日(月)
- 大寒(だいかん) 1月20日(火)
- 冬の土用(どよう) 1月17日(土)