良寛忌 (記念日 1月6日)
- 生誕
- 1758年(宝暦8年)、越後国出雲崎(現:新潟県三島郡出雲崎町)
- 忌日
- 1831年(天保2年)旧暦1月6日、享年74歳
- 師匠
- 備中・円通寺の国仙和尚(22歳で師事、33歳で印可)
- 隠棲地
- 越後・国上山(くがみやま)の五合庵
- 作品数
- 和歌 約1,400首、漢詩 約600首
- 辞世と伝わる句
- 「うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ」
「うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ」——臨終の床で貞心尼に問われ、良寛がつぶやいたとも伝えられる一句です。表も裏も何一つ隠さず生きてきた、という良寛の生涯を凝縮したかのような言葉として今も広く知られています。天保2年(1831年)旧暦1月6日、良寛はこの世を去りました。これが「良寛忌」です。
良寛は1758年(宝暦8年)、越後国出雲崎(現:新潟県三島郡出雲崎町)の名主・橘屋の長男として生まれました。しかし名主見習いとなったのはわずか1か月ほど。嘘をつけない誠実すぎる性格ゆえ、代官と漁師の争いの調停に失敗し、18歳で近隣の禅寺「光照寺」に出家します。その後22歳のとき、備中玉島(現:岡山県倉敷市)の円通寺へ赴き、国仙和尚を「生涯の師」と定めて約10年の厳しい修行に就きました。33歳で印可を受けた後、諸国を行脚し、最終的に故郷の国上山(くがみやま)にある五合庵に隠棲します。
生涯寺を持たず、妻子も持たず、徹底した清貧の暮らしを選んだ良寛には、子どもたちとの逸話が数多く残っています。托鉢の帰り道に子どもたちを見かけると手まりや鬼ごっこに加わり、かくれんぼでは日が暮れても薪小屋に隠れたまま動かず、翌朝「鬼に見つかってしまうではないか」と本気で心配したという話は特に有名です。日本人に長く愛される良寛像の核心がここにあります。
書家としての良寛も後世に大きな影響を与えています。その書は細く素朴で、一見するとたどたどしいほどですが、夏目漱石は「心の純なところ、気の精なるあたり、そこに摺れ枯らしにならない素人の尊さが潜んでいる」と絶賛しました。和歌は約1,400首、漢詩は約600首を残し、特に万葉集を深く愛し、枯淡でありながら温かみのある表現を追い求めました。「たくほどは 風がもてくる 落葉かな」という句には、五合庵での自足した暮らしぶりが素直に映し出されています。
晩年、良寛は30歳年下の尼僧・貞心尼と深い師弟関係を結びます。貞心尼は良寛の没後にその言葉と歌をまとめた歌集『蓮の露』を著し、これが後世における良寛再評価の礎となりました。生前はほとんど無名に近かった良寛の名が広く知られるようになったのは、明治末期以降のことです。清貧・無欲・純粋さという良寛の生き方は、時代が下るほどに輝きを増していきます。
良寛忌は旧暦1月6日にあたります。厳冬の越後の地で没した禅僧の命日として、ゆかりの深い出雲崎町や国上山周辺では今も法要や顕彰行事が営まれています。
参考リンク
1月6日の他の記念日
1月6日のカレンダー情報
1月の二十四節気・雑節
- 小寒(しょうかん) 1月5日(月)
- 大寒(だいかん) 1月20日(火)
- 冬の土用(どよう) 1月17日(土)