鏡花忌 (記念日 9月7日)
母の死が、ひとりの作家を生んだといっても過言ではありません。泉鏡花は9歳のとき、母・鈴を29歳の若さで失いました。江戸葛野流の鼓打ちの娘だった母への深い思慕は生涯消えることなく、鏡花の作品に繰り返し登場する「聖なる女性」像の原点となりました。
1873年(明治6年)、石川県金沢市下新町に生まれた泉鏡花(本名・鏡太郎)は、錺(かざり)職人の父を持ち、工芸と芸能が交差する家庭で育ちました。小説家を志して上京し、1891年(明治24年)に尾崎紅葉の門下生となります。師の家で書生として住み込みながら修業を積み、1895年(明治28年)に「夜行巡査」「外科室」を発表して文壇に認められました。
名声を決定づけたのは1900年(明治33年)発表の「高野聖」です。高野山の僧が山中で出会う妖艶な女と魔界的な空間を描いたこの作品は、現実と幻想が溶け合う鏡花文学の真骨頂として今なお読み継がれています。その後も「婦系図」「歌行燈」「日本橋」といった人情と哀愁に満ちた作品を次々と発表し、大正・昭和期にかけては「天守物語」など幻想的な戯曲でも高い評価を得ました。生涯に残した作品は300編を超えます。
鏡花の文体は難読な当て字や独特の句読点の使い方で知られ、それ自体が一種の音楽的リズムを持ちます。江戸文芸の怪奇趣味を受け継ぎながら、近代的な心理描写を融合させたその作風は「幻想文学の先駆者」と位置づけられ、後の三島由紀夫や川端康成にも影響を与えました。金沢への愛着も深く、故郷の情景は多くの作品の背景として息づいています。1939年(昭和14年)9月7日、胃癌のため東京の自宅で死去。享年66歳でした。その忌日は「鏡花忌」と呼ばれ、秋の季語にも数えられています。金沢市には泉鏡花記念館が設けられ、直筆原稿や愛用品が保存・公開されています。